2021年1月31日

大阪国際女子マラソン 優勝 一山麻緒(ワコール)2時間21分11秒

2020年12月3日

熱視線

陸上女子やり投げ 北口 榛花(はるか)

 

「いきまーす」。大きな掛け声で自らにスイッチを入れ、より遠くをめがけてやりを投じる。試合中は笑顔を絶やさず、好記録には飛び跳ねて喜ぶ。天真爛漫(らんまん)。日本の女子やり投げ界をけん引する北口榛花(22、JAL)には、そんな表現がよく似合う。

 飛躍の時を迎えたのは2019年のこと。5月の木南記念で64㍍36の日本記録を打ち立て、日本選手権で初優勝を飾った。ドーハ世界選手権では6㌢及ばず決勝進出を逃したが、帰国後の北九州カーニバルで2度目の日本新。自己記録66㍍00は16年リオデジャネイロ五輪の銀メダル相当。来る東京五輪で活躍が期待される大器だ。

 成長を語る上で、デービッド・セケラックとの出会いを欠くことはできない。18年秋にフィンランドでの国際講習会に参加。やり投げ大国チェコでジュニア世代を教えるセケラックが、15年に世界ユース選手権を制した北口を知っていて話しかけてきた。

 当時、北口はコーチ不在で伸び悩み、打開策を見つけられない霧の中にいた。事情を説明すると「それは大変。東京五輪も出られないかもしれない」と気にかけてくれる。チャンスと感じ、必死の思いで訴えてみた。「じゃあ、あなたがコーチをしてくれますか」「いいよ」

 19年2月、単身でのチェコ合宿が実現した。具体的に道筋をつけてくれるコーチの教えで助走スピードが上がり、パフォーマンスが向上。「家族ぐるみで自分を支えてくれる」居心地のよさもあり信頼関係が結ばれた。

 今年は新型コロナウイルスが2人を物理的に離した。1月末からチェコを拠点に活動していたが、感染拡大を受けて3月に帰国。以降は渡航がかなわずシーズンの計画が狂った。

 コーチとは今もリモートでやり取りを続ける。チャット機能のあるアプリを使って送られてくる練習メニューをこなし、文章や動画で報告。それでも対面で意思疎通を図るのとはやはり勝手が違う。今季は一緒に練習して試合を回る機会を増やす予定だった。その期待感があっただけに「思い通りにいかなかった」。心の揺れ動きが影響したのか、今季60㍍越えは1試合だけ。10月の日本選手権は連覇を逃した。

 ただ、「モチベーションが下がることはなかった」という。「目の前の試合より70㍍をこと、世界で1番になることを目指しているので」。見据えるものが明確だからコロナ禍でも簡単には倒れない。その前向きな姿勢に触れると、困難を乗り越えた先にさらなる飛躍が待っているのではないか、と思えてくる。

 3歳から始めた水泳は自由形を専門とし、小中学校でバトミントンにも打ち込んだ。小6の全国大会で、後に日本を代表する選手となる山口茜と対戦した経験もある。今では身長179㌢と世界に引けを取らない恵まれた体格で伍(ご)する北口榛花(JAL)は、スポーツ万能で知られる。

 陸上は高校1年から。旭川東高陸上部顧問(当時)の松橋昌己がやり投げの世界へといざなった。マネジャーが北口の中学のバトミントン部の先輩で、「長身でやり投げをしたらいい選手になる」と松橋に“推薦”したことがきっかけ。

 最初は「見に来るだけでいいから」と誘われた北口も投てきの楽しさを覚え、水泳と二足のわらじで競技を始めた。五輪を目指せる逸材を預かった松橋は「手足が長ければ大きい力が生まれるので、あの体格は圧倒的なアドバンテージ。たいした助走もしないで比較的真っすぐ飛ばすセンスもあった」と述懐する。

 バトミントンや水泳で培われた肩回りの柔軟性や腕の使い方は武器となり、わずか2ヵ月で北海道大会を優勝。早くから潜在能力の高さを披露し、その年にやり投げに専念することを決めた。

 松橋の指導方針は「長い目で見て大きな選手に」というもの。基礎から鍛えられた北口だが瞬く間に距離を伸ばし、とんとん拍子で階段を駆け上がる。高校2、3年と全国高校総体を連覇。15年の世界ユース選手権を制して「自分も世界と戦えるんだ」と実感した。

 だが、高校での華々しい戦績に比べて大学時代は苦しい時期もあった。1年時には右肘を故障、翌年はコーチ不在でよりどころがいなかった。北海道に戻った際に一緒に練習につき合った松橋は「精神的に不安定な時期だったと思う」と当時の心境を推し量る。

 競技人生、常に右肩上がりではない。それは本人も理解して我慢の時過ごしていた。「必ず止まるときは来る。競技は違えど、それを水泳で経験していた」。どれだけ落ち込んでも、楽しくて選んだ競技を投げだしてはいけない。現状を受け入れて糧にする精神力は、他競技を通して学んだことでもあった。

 昨年、世界記録保持者のバルボラ・シュポタバ(チェコ)と一緒に練習した際、「あなたにはあなたのバックグランドがある。身体的特徴も違うから全部まねしなくてもいいよ」と助言をもらった。「自分の投げ方を肯定してくれている気がした」。自分は自分のままでいい――。結果が出ずに涙することもあったが、アスリートとして芯が通っているように感じるのは、決して成功ばかりではない様々な経験を積み重ねてきたからなのだろう。

 

 海外コーチの自ら交渉して指導を依頼し、単身で合宿に出かける。意思疎通に不可欠な言葉の壁を越えるためにチェコ語も習得中。北口榛花(JAL)の行動力の根っこには海外への強い関心がある。「最初はテレビで海外の風景を見て(憧れた)。大きくなったらお金を稼いで家族で海外旅行に行くんだ、とよく言っていました。

 陸上を始める前から抱いていた願いはやり投げと出会って果たされていく。2015年、東京五輪や世界で活躍ができる選手を強化育成するために日本陸連が立ち上げた「ダイヤモンドアスリート」の1期生に。若い頃から外に目を向け、国際競技力を高めていくプログラムにうまく乗って世界へ出る機会が増えた。「やり投げの本場ヨーロッパで練習したり競ったり。こういう海外の行き方もあるんだと思えた」。

 普通の人ならためらうことも、飛び込んで扉を開いていく素質はこの時期から磨かれたのだろう。食事を気にする選手が多いが「私はお米がなくても生きていけるタイプ」。このたくましさもまた、強さも示す要素かもしれない。

 7カ月半後には東京五輪が控える。捉えている。まだ22歳。24年パリ五輪、28年ロサンゼルス五輪まで視野に入れている。だから来夏への東京五輪延期も「ただ大きい試合が1年ずれただけ。そこに向けてまた頑張ればいい」と冷静に受け止めた。

 フィールド種目で日本女子はまだメダルがない。チェコにいるコーチのデービッド・セケラックには「将来的に70㍍を投げる選手になれる。でも当面は68㍍が目標ね」「自分でもそう思う」。一回70㍍を投げてしまえば(その後も)投げられると思うけど、まず70㍍を投げることが簡単ではない」

 11月中旬、北口は新型コロナウイルスの影響でチェコに行けず、母校の日大で本格的な冬季練習に入る前の土台づくりに励んでいた。オフのテーマは下半身の強化。今季スピードアップを目的に改良した助走の質を上げる狙いもある。「全体的な筋力アップを図れば、おのずと安定した記録が出るし、一本いい記録も出やすくなるはず」

 もともと陸上を始める前はやり投げを見たことがなく、五輪もテレビで競泳ばかりをみていた。

 「私は陸上の外の人だった」という意識があるから、「陸上に興味がない人でも知っている選手になること」が理想だ。東京五輪はそれをかなえる場所になるかもしれない。

 

 

日本経済新聞 夕刊 12月1日~3日 (渡辺岳史)

 

2020年10月2日

 

陸上日本選手権    デンカビッグスワンスタジアム〈新潟市〉

 

男子100m 桐生、6年ぶりV 10秒27

 

 

 

過去10年の陸上男子100㍍優勝者

 

 年      タイム          選手

 

2020   10秒27       桐生祥秀

 

2019   10秒02       サニブラウン

 

2018   10秒05       山県亮太 

 

2017   10秒05       サニブラウン

 

2016   10秒16       ケンブリッジ

 

2015   10秒28       高瀬 慧

 

2014   10秒22       桐生祥秀

 

2013   10秒11       山県亮太

 

2012   10秒29       江里口匡史

 

2011   10秒38       江里口匡史

 

(日経新聞10月3日 朝刊)

 


セイコーゴールデングランプリ。 2020年8月23日 東京・国立競技場  

女子1500㍍で田中希実(豊田自動織機TC)が4分5秒27の日本新記録を樹立した。従来の記録は小林佑梨子が2006年につくった4分7秒86。14年ぶりの日本新記録。

 

2020年5月14日

 

シューズ革命 アシックス短距離向け

 

 

 

陸上のシューズを巡って技術革新が起こっている。長距離界ではナイキの「厚底シューズ」が世界を席巻しているが、短距離界でも従来の概念を変えるスパイクが登場した。アシックスは靴底に金属製のピンを配置しない「メタスプリント」を開発。新型コロナウイルスの影響で4月中旬の国内発売を延期したが、中国や欧州では既に販売が始まっている。1年延期された東京五輪に向けて「ピンなし」が新たな常識として定着するかもしれない。

 

 「ピンなし」シューズは「スパイクピンが地面に突き刺さる感覚がある」という大学生やトップ選手の声が契機となり、2015年に開発がスタートした。地面にピンが刺さってから抜けるまでの時間を短縮できれば速く走れるのではないか。開発チームの小塚裕也さんは「なぜピンがあるのか、という視点に立ち返った。機能はグリップするため。それができればピンもなくせるのではないかと考えた」と語る。

 

 「メタスプリント」は強度が高いカーボンプレートを採用し、ピンの代わりに複雑な立体構造をしている。軽量化を実現し、直線やカーブ、スタート時や最高速度で接地の仕方が変わっても対応できるように突起の高さや角度を工夫。エネルギーロスを減らし、推進力を高めた。

 

 同社スポーツ工学研究所の実験では、従来の短距離用スパイクと比較して1秒あたり6,7センチ前に進めることが分かった。100㍍換算で0秒048優位に走れる計算だという。この世代シューズを愛用しているのが、男子100㍍で9秒98の記録を持つ桐生祥秀(日本生命)だ。これまで改良を重ね、30~40足の試作を提供してきた。

 

 つま先で蹴り出す動作をせず、足裏全体で地面を捉える桐生の走り方は「ピンなし」の効果を得やすく、19年のドーハ世界選手権でも着用した。現在のモデルは、よりフッラトな形状にカスタマイズされていて「素早く路面に力を伝えることができるようになった(小塚さん)。課題だった右脚が外側に流れる癖もなくなったという。

 

 東京五輪が1年延期になったことで改良の余地が生まれた。桐生のモデルも「まだ完成形ではない」と小塚さん。今期用意したシューズは試合の中止で試せていないが、突起の形を微修正しているという。

 

 桐生以外にも男子400㍍のウォルシュ・ジュリアン(富士通)や海外選手に提供、コンマ数秒を争うスプリンターの足元を支えている。今回の技術を他の競技へ応用する考えもある。

 

 国内での一般向けモデルの販売時期は新型コロナの状況を見ながらの判断になるが、「トップ選手から大学生まで普及させたい。ワクワクを多くの人に届けたい」(広報担当者)と準備を進める。開発当時から軽量化を視野に入れていたという次世代の短距離シューズが選手たちに受け入れられるのか、注目される。( 渡辺岳史 ) 日本経済新聞 2020.5.13(夕刊)

 

2020年3月8日 名古屋ウィメンズマラソン

名古屋ウィメンズマラソンは8日、ナゴヤドーム発着で行われ、22歳の一山麻緒(ワコール)が日本歴代4位の2時間20分29秒で優勝し、東京五輪代表に決まった。1月の大阪国際で松田瑞生(ダイハツ)が出した2時間21分47秒を上回り、条件を満たした。野口みずきが持っていた2時間21分18秒の日本人国内最高記録を塗り替え、大会記録も更新した。


2020年3月1日 東京マラソン

東京五輪男子代表の残り1枠を争う東京マラソンは1日、東京都庁前から東京駅駅前のコースで行われ、大迫傑「ナイキ」が2時間5分29秒の日本新記録で4位に入り、代表入りを有力にした。最終選考会となる8日のびわ湖毎日マラソンでさらに速い選手が出なければ大迫が代表に決まる。


2020年1月26日 大阪国際女子マラソン

松田瑞生選手(ダイハツ)が2時間21分47秒で優勝

日本陸連ファン投票 2019年トップ 多田修平選手


コスゲイが女子世界記録 シカゴマラソン 2時間14分4秒

 

 シカゴ・マラソンは13日、シカゴで行われ、女子は25歳のブリッジト・コスゲイ(ケニヤ)が2時間14分4秒の世界新記録で優勝した。従来の記録は2003年にポーラ・ラドクリフ(英国)がつくった2時間15分25秒で、16年ぶりに塗り替えた。

 

 コスゲイは昨年大会を2時間18分35秒で制覇。これまでの自己ベストは優勝した今年4月のロンドン・マラソンで出した2時間18分20秒だった。(日本経済新聞)

 


キプチョゲ2時間切る 特別レース 男子マラソン初                2019年10月13日

 

男子マラソンで2時間1分39秒の世界記録を持つエリウド・キプチョゲ(34才)=ケニヤ=が12日、ウィーンで行われた特別レースで、フルマラソンで、史上初の2時間切りとなる1時間59分40秒で走った。記録は非公認となるが「この機会を与えてくれて感謝している」と快挙達成に喜びを語った。

 

 複数のペースメーカーが何度も入れ替わって引っ張り、自転車から飲み物を受け取るなど特殊な補助を受けてのレース。2016年リオネジャネイロ五輪のマラソン金メダリストは17年にもスポーツ用品大手ナイキの企画でイタリアのサーキットで挑戦したが、2時間0分25秒だった。(日本経済新聞)

 


攻めた 信頼のバトン 2019年10月7日

 

陸上の世界選手権第9日はドーハで行われ、男子400㍍リレー決勝で多田修平(住友電工)、

 

白石黄良々(セレスポ)、桐生祥秀(日本生命)、サニブラウン・ハキーム(米フロリダ大)の4人で臨んだ日本は37秒43のアジア新記録で3位となり、2大会連続の銅メダルを獲得した。東京五輪出場権も確保した。米国が世界歴代2位の37秒10で制し、英国が37秒36で2位だった。(日本経済新聞)

 



序盤ギア 山西ひとり旅       2019年10月6日

 

陸上の世界選手権第8日は4日、ドーハで行われ、男子20㌔競歩で山西利和(愛知製鋼)が1時間26分34秒で金メダルを獲得した五輪を含め、この種目で日本選手の表彰台は初めて。山西は東京五輪代表に決まった。 (日本経済新聞) 

 



競歩・鈴木「金」日本勢で初  2019年9月30日

 

陸上の世界選手権第2日は28日、ドーハで行われ、50㌔競歩男子で鈴木雄介(富士通)が4時間4分20秒で勝ち、五輪を通じて日本競歩初の金メダルを獲得した。東京五輪代表にも決まった。

 



寺田、女子100障害で日本新 12秒97 世界陸上の参加標準突破               2019年9月1日

 

陸上の記録会「富士北麓ワールドトライアル2019」が1日、山梨県富士吉田市の富士北山麓公園陸上競技場で行われ、女子100㍍障害で寺田明日香(パソナグループ)が12秒97(追い風(1.2㍍)の日本新記録を樹立した。従来の記録は寺田自身と金沢イボンヌが2000年に出した13秒00。世界選手権の参加標準記録(12秒98)も突破した。

 


走り幅跳び 城山日本新 男子、8㍍40 2019.8.17

 

陸上のナイトゲームズ・イン福井は17日、福井県営陸上競技場で行われ、男子走り幅跳びで城山正太郎(ゼンリン)が3回目で日本新記録となる8㍍40を跳んで優勝した。橋岡優輝(日大)が8㍍32で2位。1992年に森長正樹が出した8m25の日本記録を橋岡が1回目に7㌢更新し、さらに城山が今季世界2位の跳躍で塗り替えた。

 

 同110㍍障害では高山峻野(ゼンリン)が13秒25の日本新記録で優勝。7月に自身がマークした13秒30を更新した。女子100㍍障害は寺田明日香(パソナグループ)が日本記録に並ぶ13秒00で制した。(日本経済新聞 8月18日 朝刊より抜粋)

 



陸上男子100 日本人3人目

 

2019年7月22日

 

陸上男子100、日本人3人目9秒台

 

 

 

小池 9秒98

 

 

 

昨年の自己ベスト10秒17。100分の1秒を争う世界で今期持ちタイムを大幅に更新してきた。そして最高峰シリーズ「ダイヤモンドリーグ」で刻まれた日本人3人目の9秒台。海外勢と並んでも堂々としていた小池裕貴の加速度的な成長は目を見張るものがある。

 

 他の選手の映像を丹念に分析し、「とにかく統計的にいろいろ見て共通点を探す」研究熱心な一面を持つ。前半型と後半型のスタートを見比べて参考にすることも。6月の欧州遠征では今季世界最高の9秒81を持つコールマン(米国)と世界トップクラスの速さを間近で体感、経験値を上げた。

 

  日本選手権は短距離2種目でサニーブラウン・ハキューム(米フロリダ大)に敗れたが、「1本目のレースの悪いところを次に生かせている。ちょっとずつ成長できている」と前向きに捉えていた。

 

 高校時代はいつも同学年の桐生祥秀の陰に隠れ、慶大時代は自己流で限界まで追こい込み、故障に悩んだ。2年前から男子走り幅跳び元日本記録保持者の白井純一氏に師事。客観的な目で見てもらうことで歯車が好転し始めた。いまでは後半の強さが小池の魅力だ。

 

 これまで昨夏のアジア大会を制した200㍍を主戦場としてきた。今季100㍍に積極的に挑んできたのもスプリング力を磨くため。「(100㍍は)スペシャリストには劣る」とも語っていたが一気に飛躍。どちらでも世界と戦える素質を開花させた。冷静で浮つくことがない24歳は、常に今できるベストを出すことに集中する。その積み重ねがスプリンターとしての可能性を広げていく。(渡辺岳史)                       日本経済新聞から

 

 

 




 

2019年(令和元年)6月27日(木)

 

陸上日本選手権 きょう開幕

 

陸上の世界選手権(ドーハ)代表選考会を兼ねた日本選手権が27日、福岡市の博多の森陸上競技場で開催する。26日は有力選手が最終調整。男子100㍍(28日決勝)9秒97の日本記録を持つサニブラウン・ハキーム(米フロリダ大)「他の人は気にせず、自分の走りができれば満足。課題をクリアしていきたい」と意気込みを語った。

 

 今回は100㍍、200㍍の2冠に輝いた2年前とは違い、追いかけられる立場。だが本人の表情からは余裕と冷静さがうかがえる。帰国後は知人と食事するなど旧交を温めたといい、「日本で走るのは久しぶり。楽しみ」。心身とも充実した状態で勝負に挑めそうだ。

 

 100㍍ではスタートが改善された一方、中盤から後半にかけての走りを課題としている。「練習でやっていることを試合でもできれば」。今月の全米大学選手権で日本歴代2位の20秒08を出した200㍍でも頭ひとつ抜けた存在。大会期間中は雨のレースも予想されるが、2年ぶりの2冠へ視界は良好だろう。

 

 日本歴代2位となる9秒98の自己記録を持つ桐生祥秀(日本生命)は5年ぶりの頂点へ士気は高い。昨年は3位に終わったが、「昨年と違って自信はある。全員が競り合いになるので、その中で自分の走りをしたい」。今期は10秒0台が4度と安定感抜群。「予選、準決勝と流しながら10秒0台、(10秒)1台を出して疲れを残さず、決勝は一発で決めたい」と思い描く。

 

 5月に10秒04の自己ベスト出した小池裕貴(住友電工)は今月の欧州遠征で世界の強豪が集うダイヤモンドリーグに出場、経験値を高めた。苦手なスタートで手応えをつかみ、「そこを修正すればいいレース、面白い記録が出るのではないか」と自信をのぞかせる。

 

 今季本調子とはいえない多田修平(住友電工)は「得意のスタートから中盤を意識して走りたい。復活の起点になれば」。左脚の故障でレース間隔が開いているケンブリッジ飛鳥(ナイキ)も「不安や焦りはあったが、やれることをやってきた。勝負にこだわってやるしかない」と力を込める。前回覇者の山形亮太(セイコー)欠場をなったが、激戦は必至。大会初の9秒台決着になるか、期待が膨らむ。(渡辺岳史)

 

日本経済新聞 朝刊より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月28日(金)

 

2年ぶりに日本選手権に戻ってきたサニブラウンに観客の視線が注がれた。一瞬の静寂から迎えた準決勝の号砲。改善されたスタートで跳び出すつもりが出遅れた。

 

 反応時間は最も遅い0秒180。予選でも1人だけ0秒2台だった。本人いわく、「予選は」ピストルが(鳴るのが)早すぎて」。反省から準決勝で修正を図ろうとしたが、逆に「音を聞きすぎた」という。

 

 それでも日本では全く問題なし。中盤から大きなストライドで1歩踏み出すごとに加速していき、同組のケンブリッジや多田を引き離した。「ラストは何もしなくてもスピードに乗れた」

 

 10秒05は優勝した2017年と同じ大会記録だが、走りはまるで別人。「気持ちよく走れている。2年前と内容も気持ちも全然違う」。まだスイッチが入り切っていないことを考えれば、さらなる好記録の余地はある。

 

 決勝に向け「やることをやればタイムは勝手についてくる。焦らないことが一番大事」と語った。この余裕の表情が、見ている者の期待をさらに膨らます。(渡辺岳史)

 

日本経済新聞 朝刊より抜粋

 

 

 

2019年6月29日(土)

 

圧勝も9秒台は届かず 

 

 中盤からは圧巻の加速だった。後半に強いはずの桐生が序盤の並走から徐々に離れていく。9秒台には届かずとも、豪華なメンバーがそろった決勝でサニブラウンが示した強さが、頭一つ抜けた存在であることを改めて印象付けた。

 

 刻まれた大会新の10秒02、を本人は「何とも言えないタイム」表現した。50㍍付近で勝利を確信したが、スタートの反応に納得がいかない。70㍍付近からは頭も上がった。再現性の高さを追い求めているだけに、突き詰めれば反省点はあれこれ出てくる。「弱い面を見せてしまっては世界のトップレベルでは通用しない。フロリダに修正したい」。世界基準で物事を考えているあたりに大器を思わせる。

 

 国内では追われる立場となっても自然体を貫き、重圧とも無縁。普段から米国で強い選手としのぎを削り、心身のたくましがさが培われた。「もっと強い選手と走ってきた。ここで強さを見せられないようでは意味がない。本数を重ねるごとに集中してできたと思う」。2年ぶりの日本でのレースで披露したのは、アスリートとして成長した姿だ。

 

 今大会通してスケールの大きい走りも際立っていた。日本陸連科学委員会が出した決勝の速報値では、最高速度が出た50~60㍍でのストライドが10秒05で優勝した2年前より5センチ長い2・51㍍。桐生と比較すると、4歩以上少ない44・1歩で駆け抜けていた。

 

 全米大学選手権での日本記録も、2年ぶりの日本選手権制覇も通過点に過ぎない。目指すは世界選手権の決勝の舞台に立ち、メダルを狙うこと。20歳のスプリンターには、もう一段上の世界との勝負が待っている。(渡辺岳史)

 

日本経済新聞 朝刊より抜粋

 


セイコーゴールデングランプリ陸上 2019大阪          2019.5.19(sun)

上から 土井杏南選手        女子200m 途中        イベト・ラリワコオリ選手 大会新

下   やり投げ 北口選手                      女子800m

上 ケンブリッジ飛鳥選手        桐生選手           山縣選手

下 多田選手            100m スタート        20m付近

1着・ ガトリン 10”00 2着・ 桐生 10”01 4着・ 小池 10”04



第26回 kix泉州国際マラソン 2019.2.17



日本室内陸上競技大会 大阪大会 2019.2.2~3



2019年1月27日(日)



2018年9月25日

 

マラソン世界新記録樹立 キプチョゲはなぜ異次元のタイムを出せたのか

 

2時間139秒。この記録を見て、日本のマラソンランナーたちは何を感じただろうか? 今月16日に行われたベルリンマラソンで、エリウド・キプチョゲ(ケニア)がマークした世界新記録は、まさに異次元の数字だった。従来の世界記録(デニス・キメット)の2時間257秒)を1分以上更新し、今年2月に設楽悠太(HONDA)が更新した2時間611秒の日本記録とは実に5分近くの大差をつけている。

 

「フルマラソンで2時間を切る」ことを目標に

 

 実は、この大記録の樹立には前段がある。 5年前からスポーツメーカーのナイキが「フルマラソンで2時間を切る」ことを目標に、「Breaking2」と題したプロジェクトをスタートさせていた。キプチョゲはそのプロジェクトに参戦したランナーのひとりでもあった。 実際のトライアルは昨年5月、F1ファンの間で高速コースとして名高いイタリア・モンツァのサーキットで行われた。 周回コースを用いて複数のペースメーカーが交代でつけられたり、特殊な給水方法を実施したりと、公認条件下ではなかったため、公式には記録認定されなかったものの、キプチョゲは当時の世界記録を大きく上回る2時間0025秒で42.195kmを走破した。この経験が、今回の記録達成の一助となっているのは間違いないだろう。 モンツァの地でプロジェクトを取材した時に最も顕著に感じたのが、キプチョゲの持つ冷静さと、メンタル面の強さだった。

 

キプチョゲだけが実現可能性にまで言及していた

 

Breaking2」にはキプチョゲ以外にも数名の世界的な有力ランナーが参加し、それぞれ万全のサポートの下で記録を狙っていた。それでも、取材に参加したメディアの間では「記録を出すとしたらキプチョゲだろう」という空気が漂っていた。その理由は、キプチョゲが唯一、この「2時間切り」という途方もないプロジェクトを、現実的に捉えているように見えたからだ。 他の選手たちが、記録の話をすると苦笑しながら「ベストを尽くす」「出来る限りの努力をしようと思う」という紋切型の答えに終始する中で、キプチョゲだけが実現可能性にまで言及していた。「2時間を切ることは、もちろん可能です。そのために練習をしていますから。本当に実現できると思っていなければ、やる意味がないでしょう?」

 

 トライアルが行われた時点でのキプチョゲのマラソンのベスト記録は2時間35秒。もちろん素晴らしい記録ではあるが、2時間を切るにはさらに3分以上もタイムを短縮しなければならない。それを「可能」と言い切るのは、日々のトレーニングはもちろん、自分のあらゆる可能性に蓋をしない、精神面の強さの現れだったように思う。

 

「“モノ”で走るのではなく“心”で走るんです」

 

 キプチョゲ本人も、トライアル前にはこう語っている。「まず大切なのはマインドですね。2時間で走れるということは、いままでの世界記録から3分近くを削らないといけない。それはかなり大きな心理的な壁だと思います。まずはその壁を崩さないといけない。常に『2時間で走りきる』ということだけを考えていますよ。それから大事なのが、常に自分のリミットを超えること。自分の能力を超えていくということを、いつも心がけていますね」万全なサポート体制に加えて、多くの人が長年、労力を費やしてきたプロジェクト。そのために新しく開発されたシューズもあり、記録達成へのプレッシャーもあったはずだ。だが、そう問いかけても、当時のキプチョゲの表情は変わらなかった。「どんな重圧でも対応できますよ。“モノ”で走るのではなく“心”で走るんです」 マラソンは、突き詰めれば非常にシンプルな競技だ。決められた距離を、いかに速く走るか。それだけといってしまえばそれだけだ。だからこそ、ランナーたちの心の持ち様が、走りに大きく影響を与えると言っていい。「このペースで最後まで持つのか?」「本当に自分に狙った記録がだせるのか?」

 

 そんな小さな疑問が頭をよぎるだけで、結果には大きな差が出てくることになる。

 

 それゆえ、自分の可能性を信じ抜くということが、他の競技よりもさらに必要になるものなのだと思う。

 

絶望するのか、一歩ずつ歩を進めるのか

 

 例えば現在の日本で同様のプロジェクトを行い、日本記録を3分以上も上回る「2時間2分台を出せ」という命題を与えたとして、それを現実的に考え、自分を信じ抜ける選手は、一体何人いるだろうか。 もちろんキプチョゲをはじめとした世界のトップランナーたちは、日々科学的なトレーニングで自分を追い込み、信じられないような強度の練習もこなしている。毎日の肉体作りや生まれ持った才能が、世界のトップになるのに必須なのは、大前提だろう。 それでもなお、今回の結果を見て感じたのは日本勢と海外勢の“思考”の差――もっと言うならば“覚悟”の差だった。

 

 ベルリンのレースを見た日本陸上競技連盟の河野匡長距離・マラソンディレクターは「ショッキングな結果。(日本選手は)記録的なものは並べて戦えない」とコメントした。「こんな記録を持つランナーに敵うはずがない」と絶望するのか。「いつかはこの記録までたどりついてやる」と一歩ずつ歩を進めるのか――。後者のように思う日本選手が、1人でも多くいることを願っている。

 

(文春オンライン)

 

 

 

 

 

2018年9月21日~23日

第66回 全国実業団対抗陸上競技選手権大会  ヤンマースタジアム長居

100m ファイナリスト

100m ゴール

優勝 山県選手 タイム 10秒01

2018年9月17日

 

マラソン世界新  

 

ケニヤ・キプチョゲ 2時間1分39秒

 

ベルリン・マラソンは16日、ベルリンで行われ、男子はリオネジャネイロ五輪覇者の33歳、エリウド・キプチョゲ(ケニヤ)が2時間1分39秒の世界新記録で2連覇した。従来の記録はデニス・キメット(ケニヤ)が2014年大会でマークした2時間2分57秒。

 

 序盤から飛び出したキプチョゲは、ペースメーカーが外れた25㌔半ばからもハイペースを保ち、2位のアモス・キプルト(ケニア)に4分44秒差をつけた。日本勢は中村欣吾(富士通)が自己ベストの2時間8分16秒で4位と健闘。佐藤悠基(日清食品グループ)が6位、上門大祐(大塚製薬)は8位、村山謙太(旭化成)は16位。

 

(2018年9月17日 日経新聞 朝刊)

 

2018年7月26日

 

陸上短距離に新星

 

 タレントぞろいの日本男子短距離界にまた一人、楽しみな若手が現れた。23歳の小池祐貴(ANA)は今月の欧州遠征中の200㍍で自己ベストを大幅に更新し、日本歴代7位の記録をマーク。8月のアジア大会(ジャカルタ)に向け「走りの感覚をもう一つ上げたい」とさらなる飛躍を誓っている。

 

 14日にベルギーで開かれた200㍍の競技会。スタートからなめらかに加速すると、後半もスピードを落とすことなくゴールを駆け抜けた。タイムは20秒29。わずか3週間前の日本選手権で出した20秒42の自己記録を大きく塗り替えた。

 

 「一試合ずつ成長する」との信念を体現したレースだった。日本選手権で課題と感じた後半の走りを初戦のスイスの競技会で改善しようとしたが「思ったように伸びなかった」。そこでベルギーでは「50㍍走って体が起きたら後は同じフォーム」という海外勢に近い走りを試し、「うまくはまった」のだという。

 

 身長173センチ。慶応義塾大の先輩、山県亮太(セイコー)に似た理論派を支えるのは確かな練習量だ。以前は練習で限界まで追い込みすぎて故障に悩まされた。昨年秋から専属コーチをつけたことで、量をこなしながらケガの不安が消え、思考する余裕も生まれたようだ。

 

 遠征の最後には世界のトップが集うダイヤモンドリーグ(ロンドン)の400㍍リレーに山県の代役として出場した。桐生祥秀(日本生命)ら2016年リオネジャネイロ五輪銀メダルメンバーの中で第1走を務め、日本歴代7位の38秒09のタイムに貢献。小池からバトンを受けた飯塚翔太(ミズノ)も「(山県と)タイムは違うが、勢いを持ってきてくれた」と振り返る好走だった。

 

 アジア大会では200㍍のほか、リレーでも活躍が期待される。高校時代は同学年の桐生の陰に隠れていたスプリンターは「(欧州遠征で)やっと実力が出せたで、今後は『当たり前』のレベルを上げたい」と意欲的。欧州でつかんだ手応えを胸に、タイムや実績で先行する国内のライバルを猛追するつもりだ。(鱸正人) 日本経済新聞 夕刊より抜粋

 

第71回

大阪高等学校陸上競技対校選手権大会

兼全国高等学校陸上競技対校選手権大会大阪予選会

兼73回国民体育大会代表選手選考会

日時 2018年5月25日(金)・26日(土)・27日(日)

場所 ヤンマーフィールド長居

高体連のマーク制定の由来

 高体連のマークについては、第2回中モズのI・Hのとき公募したが、オリンピックの輪をもじったものとか、学連のマークの類似のものが多く採用に至らなかったので、故 乾正人先生がトラックにZ.K.T.Rを入れ急遽仮に作成され、会場に掲揚したのが嚆矢である。

 それ以来、高体連の本部で案を作り、公募したが中モズ大会と似たりよったりで採用に至らなかった。私は造幣局の図案専門家に依頼して、高体連にふさわしいもの、書きやすいもの、伝統の家紋のよさを失わぬものを注文をつけて約半年後出来上り、それを昭和24年東京の理事会に提案して、即座に採用されたのが、現在の三つのK(高等学校をあらわす)のマークである。私の説明は「競技は力であり、進歩は技の錬磨にまつ。しかも競技者はこれを包むに明朗な精神をもってせねばならない。高体連のマークを構成している三つのkはこれを意味するドイツ語を組み合わせたものである。

         KRAFT    力

         KUNST    技

         KLARHEIT   明朗な精神

その色彩の赤は若人の情熱を示すものである。

このマークは円を等分することでコンパスを用いれば描け、上が平らであることが条件となる。

 

                        ―故 太田博邦先生の寄稿文よりー

(プログラムより抜粋)

 


2018年5月20日

セイコーゴールデングランプリ

陸上2018大阪

 

ワールドチャレンジとは?

 

ワールドチャレンジはIAAF(国際陸上競技連盟)主催のトップアスリートが集う世界最高水準の競技大会である。IAAFにより規定されたクラス2以上のスタジアムで開催される。賞金総額は20万ドル以上となっている。

 

 2010年にスタートしたワールドチャレンジだが、現在の形になるまでは歴史がある。世界各地で行われていた競技会をIAAFが一連のシリーズとし、グランプリ・サーキットが始まったのは1985年のこと。 1998年からは一部がゴールデンリーグに格上げされ、2003年にはゴールデンリーグ、スーパーグランプリ、グランプリ、グランプリⅡの4クラスに拡大。2006年からはワールド・アスレティック・ツアーと名称を改め、ゴールデンリーグとスーパーグランプリの11競技会、グランプリ13競技会の合計24大会で実施されてきた。

 

 2010年にはダイヤモンドリーグとワールドチャレンジの2シリーズに再編成された。2011年からダイヤモンドリーグ14大会、ワールドチャレンジ10大会が行われ、ゴールデングランプリ大阪はワールドチャレンジの第2戦に当たる。

 

 参考までにダイヤモンドリーグは、各大会の上位3選手にポイントが4点、2点、1点と与えられ(チューリッヒ・ブリュッセルは2倍の得点)、その合計ポイントで決まる年間優勝者には、4カラットのダイヤモンド入りのトロフィーが授与される。

(プログラムより)

 

 

 

数字で楽しむ

 

セイコーゴールデングランプリ

 

男子100m

 

2人目、3人目の9秒台に期待

 

 2017年9月9日、桐生祥秀の「9秒98」によって日本人も「9秒台」の世界に足を踏み入れた。昨年の世界100位は10秒17で、7人の日本人が入傑し国別人数では4位。さらに「10秒0台以内」では6人。これはアメリカ人の16人、

 

ジャマイカの8人に続いて堂々の3位。昨年9月に、ヤンマースタジアム長居で10秒00をマークした山縣亮太を筆頭に、桐生に続く日本人2人目、あるいは3人目の「9秒台選手」の出現も期待できそうな状況にある。(プログラムより)

 

 

 

 

 

 

サブトラックに移動中のケンブリッジ飛鳥選手。

 




2018U20日本室内陸上競技大会大阪大会

2018.2.3(sat)>4(sun) 大阪城ホール



 

あなたもボルト超え

 

潜在能力、データが照らす

 

 「人類最速」を決める陸上100メートル、五輪で日本選手が真っ先に決勝のフィニッシュラインを切る―――。全くのおとぎ話ではない。

 

 2017年9月9日は日本陸上史に永遠に刻まれるだろう。桐生祥秀(東洋大)が日本学生対校選手権で9秒98、日本人で初めて10秒の壁を突破した。「2、3番目では(名前は)残らない1番最初は特別。やっと世界で戦うスタートラインに立てた」

 

 五輪や世界選手権の準決勝を9秒台で走り決勝に進めなかった者はいない。気象条件も影響する記録は時の運。ウサイン・ボルトの驚異的な世界記録(9秒58)はともかく、同じ金メダルなら日本人もとれるかもしれない。

             ■                      □

 

 日本の「世界最強」を求める旅は1991年、世界陸上東京大会まで遡る。カール・ルイス(米国)に当時世界最高の9秒86を眼前で出され、旅は始まった。日本は「走り」研究のパイオニア国の一つだ。その最先端の現場を見に、鹿屋体育大スポーツパフォーマンス研究棟(鹿児島県鹿屋市)へ飛んだ。 そこは錦江湾を望む高台にあった。どこにでもあるトラックだが、下にフォースプレートという機器が50メートルにもわたって敷き詰めてあり、周囲に赤外線カメラがずらり。これほど長いプレートがある施設は世界唯一で反射素材をつけたスプリンターや走行時の力の大きさや方向、ピッチ、ストライド(歩幅)が大型スクリーンに表示される。

 

 走行タイムはピッチと歩幅で決まる。ピッチを速くすべきか、歩幅を伸ばすか、スタートでどれぐらい踏み込むか―――。感覚に頼りがちだった走りを可視化する。丸裸にされるような気分だ。

 

 日本陸連科学委員会の松尾彰文・同大学教授は「一度走れば選手の個性が見える。力の入れ方による動きの変化も分かる」。桐生ら国内外のトップ選手が訪れ、数センチ単位で走りを磨く。ここで知った弱点を克服して日本選手権出場を果たした無名選手もいるという。100メートルに20秒近くかかる僕(35)も自分の特徴を知れば、最小の努力でタイムを伸ばせるかもしれない。

 

 陸上選手だった松尾教授も「日本人が100メートルでどうにかなるという希望はなかった」らしい。しかし08年以降、日本は五輪400メートルリレーでメダルを2個も獲得。今、桐生の歩幅などから計算上、9秒72まで可能と予測する。追い風が吹けば、ボルトが08年北京五輪で出した当時の世界記録9秒69に匹敵する記録も夢でないところまできた。

 

 最近は従来の規格を超える選手もいる。サニブラウン・ハキーム。母が日本人、父はガーナ人、短距離系に強いとされる西アフリカ系だ。伸長が188センチでストライドが長く、本人が「最終的な目標」と公言する世界新記録も不可能でないかもしれないと噂される。実際、ハーフ選手の潜在能力は遺伝子レベルでも裏付けられている。順天堂大の福典之准教授によると、両親が遺伝的に離れた方が身体能力の一部が高くなるという研究があるらしい。グローバル化が進む今、「今後は遺伝子上で言うと日本人とか、そういう概念がなくなっていく」。

                                       □

 

 陸上界に科学のメスが入って四半世紀、短距離、長距離向きの遺伝子も判明している。「黒人は尻が大きいから速いとか、都市伝説みたいなもの」と松尾教授。研究を続ける中、数字的にはトップと差があっても、予想を覆す結果を出す選手に遭遇してきた。現状に差があっても工夫次第だ。「脳は目標と現状の差を明示されると目指す場所に向かって学習していく。(シンプルな競技の)陸上のインパクトが大きい」。(ここで世界一になったら)若い世代が色々な分野でバリアーを破っていくでしょうね」と脳科学者の茂木健一郎さんは話す。

 

 可能性を広げる一方「もうこれ以上記録はのびないよ」という、悲しい現実まで科学は知らせるだろう。球技や将棋などのゲームなら、人工知能(AI)の方が“勝てる”戦術効果的な練習方法を教えてくれるはずだ。しかし、人間自身が試行錯誤しながら目標へと努力する過程、生きざまこそ、人の心に訴える力を持つ。それがたとえ失敗であっても。科学が豊かな未来をもたらすか、熟考しないといけない。

 

 

 

 

「日本人は・・・」の固定観念、変えるか

 

 日本では、人気がありプロとして将来像が描きやすい野球やサッカーに運動能力の高い選手が集まりやすい。

 

 日本中学校体育連盟の2017年度加盟校調査(速報値)によると、男子生徒約123万1千人のうちサッカーの競技人口が21万2千人、軟式野球が約17万4千人。さらに硬式野球のリトルリーグなぞに属する子もいる。対する陸上競技は約12万7千人。「もし走る能力の高い選手を集めて強化できれば、記録が伸びる可能性は十分ある」と、武蔵大の川島浩平教授(スポーツ文化)は指摘する。

 

 1932年ロサンゼルス五輪では、吉岡隆徳が100メートルで日本人で初めてファイナリストになり、陸上で世界に肉薄する時代も少なからずあった。むしろ戦後の価値観の大きな変化が大きい。王貞治、長嶋茂雄らの登場でポロスポーツが人気を集め、さらに経済成長によって運動より学力が重視されるようになった。さらに、日本では小さい頃から1つの競技に特化しがちだ。米国などでは高校時代まで「アメリカンフットボールと陸上」「陸上とバスケットボールと野球」など複数の競技をこなし、大学に入る頃に絞る。日本もそのようになれば多様性は高まるし、ある種目では凡庸でも、遺伝子検査や体力データから予想だにせぬ才能に出くわす可能性もある。

 

 近年は靴やトラック素材といった技術の進歩も記録の向上を後押してきた。食生活など環境の変化で日本人の体格も大型化が進む。しかし、サニブラウンやケンブリッジ飛鳥といったハーフ選手の登場も、「記録がのびる上での環境要因の一つ」と川島教授は強調する。

 

 国際舞台での活躍が目立つジャマイカの短距離選手やケニヤのマラソン選手の出身地は各国のごく一部の地域に集中している。運動能力の高い遺伝子を持ち合わせている可能性があるだけなく、彼らの生活環境や日常経験にも要因はある。今後は国際結婚が進んで日本でハーフ選手の活躍が増えるかもしれないが、彼らが他の選手に比べ遺伝子的に優位な部分があったためである可能性は否めない。

 

 「この十数年で注目されるようになったハーフ選手たちが世界の頂点に立てば、ステレオタイプにとらわれない新たな価値観が共有される可能性がある」と川島教授。米国では1930年代、36年ベルリン五輪で4つの金メダルを獲得したジェシー・オーウェンスらが活躍、人種の壁を越えた連帯意識が培われる土壌が生まれていった。「同じ機運が日本でも高まれば、黒人やハーフといった人種の概念が消え、個人としての競争意識がさらに促進されるだろう」。横並び意識も変容していくかもしれない。

 

 

 

陸上男子100メートルの世界歴代記録

 

1 958 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)       2009年

 

2  9.69 タイソン・ゲイ(米国)★            09

 

      ヨハン・ブレイク(ジャマイカ)★        12

 

4  9.72 アサファ・パウエル(ジャマイカ)★       08

 

5  9.74 ジャスティン・ガトリン(米国)★        15

 

6  9.78 ネスタ・カーター(ジャマイカ)★        10

 

7  9.79 モーリス・グリーン(米国)         1999

 

8  9.80 スティーブ・マリングス(ジャマイカ)★    2011

 

9  9.82 リチャード・トンプソン(ドニ―ダード・トバコ)  14

 

      クリスチャン・コールマン(米国)         17

 

★はドーピング検査で処分を受けた経歴のある選手。2000年以降、ドーピング違反歴のない選手で9秒8切ったのはボルトだけ。「ドーピング検査が厳しくなり、記録が伸び悩んでいる。日本人にはチャンスが広がっている」と福准教授。

 

 

 

日本経済新聞 2017年11月2日 朝刊 (ポスト平成の未来学より抜粋全文)

 


 

駆ける魂 

 

 陸上短距離  山県亮太 

 

 先越された9秒台一番乗り。悔しさバネに「国内最速」めざす

 

 

 

アスリートの精神力が特に試されるのは、失意の底に突き落とされた時だろう。山県亮太(セイコーホールデングス)にとってのそれは今年の9月9日だった。陸上の日本学生対校選手権男子100メートルで桐生祥秀が9秒98をマーク。日本人初の9秒台到達を念願の目標にしてきた山県は、ライバルに先を越されて一敗地にまみれた心境だった。「(9秒台一番乗りの目標を)もう達成できないんだと思うと、すごく喪失感がある」右足首のけがが響いて8月の世界選手権代表を逃がした悔しさに追い打ちをかけた。

 

悲嘆に暮れつつ、桐生には祝福のメッセージを送った。「尊いもの」とまで思ってきた9秒台に達した人への敬意を込めて。携帯電話の送信ボタンは、無念を振り払って再び前を向くためのスイッチでもあった。

 

同月24日の全日本実業団対抗選手権。山県の目には獲物を追う獣のような鋭さがあった。飯塚翔太らを引き離して快走、タイムは日本歴代2位タイの10秒00だった。

 

追い風0.2メートルとほぼ無風だったことを考えれば歴代屈指の走り。桐生が9秒98で走った時と同じ1.8メートルの追い風ならさらなる記録がでていたはずだが「次に向かっていくんだと思える記録だった」と山県は笑顔。喪失感で沈んだ心をいやす会心のレースだった。

 

桐生が感性の人なら山県は理詰めで走りを追究するタイプだ。スタートからの2歩目でよく左足の爪先がトラックを擦るのは「無駄な軌道を取りたくない」と低い位置で直線的に足を運ぶから。スターティングブロックはあえて蹴ろうとは思わない。「蹴ると体重が後ろに残る感じがする」

 

蹴らずに「目の前のごみを拾うイメージ」で飛び出してからの10秒間は思考の連続だ。「しっかり1次加速をしよう」「どう地面を踏み込んでいこうか」「足を後ろに流さないぞ」

 

スタートしてから顔を上げるまでの1次加速局面、そこから最高速度に達するまでの2次加速局面、そして減速局面。それぞれの区間ですべきことを意識する流儀が「高い次元での記録の安定につながる」。ロンドンで10秒07、リオデジャネイロで10秒05と五輪の大舞台で自己記録を塗り替える原動力にもなった。

 

周到さがとりわけ生きたのがリオの400㍍リレー。曲走路で走り始める1走の山県はある工夫を施した。ブロックをレーンの右端に置き、先端を内側に向けた。スタート直後に「できるだけ遠心力がかからない」ようにする狙い。この布石が、日本が3位カナダに0秒04差で銀メダルを獲得する快挙につながった。

 

自己記録では2013年4月末から桐生の後じんを拝しているが、直接対決は16年5月以降で5勝2敗。サニブラウン・ハキームが急成長中とはいえ、この勝負強さと高水準の自己記録から「国内最強」の称号は山県にささげられよう。次に目指すのは日本記録の更新。9秒台第1号を逃がした悔しさをバネに「国内最速」の座も奪いに行く。

 

 

駆ける魂 

 

ウエートトレは「我流にも限界」。指導者仰ぎ自己記録更新

 

 慶大時代、ロンドン五輪男子100㍍で当時日本勢の五輪最速となる10秒07を出した山県亮太のもとには、多くの実業団から誘いがきた。最終的に選んだのは陸上部のないセイコーホールデングス。時計という製品とタイムを争う競技性、「世界ブランドを目指すセイコーと、世界に出て強くなろうとする自分」の親和性が決め手になった。

 

 大学では練習計画の作成を含め「技術的な部分は全部一人でしていた」山県からすれば、陸上の名門かどうかは重要な要素ではなかった。広島修道高から強豪でない慶大に進んだのも同じ思いからで「環境に強くしてもらおういう発想はなかった。どこに行っても強くなってやると」。

 

 独立独歩ゆえに伴う困難を次々に克服してきた。専属コーチがいない分、自身の練習を映像でつぶさに確認し、フォームを研究。2013年秋に発症した腰痛は、自費で電気治療器を買ったり、全国の鍼灸(しんきゅう)院を巡ったりして約2年かけて治した。

 

 いかんともしがたかったのがウエートトレーニングだった。ジムに通って得た情報をアレンジして取り組んだが「我流でやるにも限界があると感じた。ウエートは繊細なものなので」。

 

 15年秋、山県は所属先からあるトレーナーを紹介される。元プロ野球阪神の桧山進次郎やゴルフの石川遼らを指導してきた仲田健。対面後、あいさつもそこそこに体のチェックを受けることになった。円柱上の器具の上にあおむけになって行うトレーニングがこなせない。仲田の言葉が胸に刺さる。「体幹に自信があると言っていたみたいだけれど、弱いね」。鼻っ柱をへし折られた山県は即座に師事することを決めた。

 

 長期間、腰痛に苦しんだ原因を仲田はすぐに見抜いた。「日本人には珍しく骨盤が前傾している。そのため背筋が収縮して腰がずっと反った状態になってしまう」。下腹部の強化で骨盤の角度を「彼にとってのニュートラルポジションにした」結果、再発とは無縁の体になった。

 

 出会った頃の山県は「上半身と下半身の使い方がばらばらだった」と仲田。そこで体幹と四肢をつなぐ股関節、肩甲骨、腹筋といった「ジョイント部分」を鍛えるトレーニングを重点的にした。ウエートで付けた筋肉が重なりになって動きが鈍るのを防ぐため、筋力をスピードに転換する神経系のトレーニングも積んだ。

 

 腰回りや首回りの筋肉が増し、神経も研ぎ澄まされた山県は走りでも成長を証明した。16年4月の織田記念国際。2.5メートルという強い向かい風では好タイムといえる10秒27で優勝。腰痛に泣いた雌伏の時期を経てようやく復活を実感した。「(ロンドンで活躍した)12年の自分に並んだな」

 

 その16年は6月に10秒06と4年ぶりに自己記録を更新すると、8月のリオネジャネイロ五輪で10秒05、9月には10秒03と相次いでタイムを縮めた。一匹おおかみだった頃の自分に並ぶどころか、瞬く間に追い抜いていった。

 

 

駆ける魂 

 

「暁の超特急」と重なる走りの感覚。見据えるは五輪メダル

 

 山県亮太の武器の一つがスタートだ。号砲が鳴ってからスターティングブロックに力を加えるまでの「リアクションタイム」は年々向上。2016年はリオネジャネイロ五輪100メートル準決勝で0秒109、9月の全日本実業団対抗選手権では0秒107を記録した。

 

 人間が音を聞いてから体が動くまでには最低でも0秒1かかるとされ、これより速く反応するとフライングになる。今や世界屈指、人間業の極限に達した山県だが、スタートに特化した練習に取り組んだのはリオ五輪期間中だった。

 

 現地での練習に手応えを感じられず、ジュニア時代からの付き合いの鍼灸(しんきゅう)師、白石宏の助言をもとに構えを改良。視線を前に向けて胸を張り、背中を伸ばすようにした。すると、脳からスタートの指令が出た際に「一つもクッションを挟まずに足まで力が伝わり、ぽんと出られるようになった」。フォームの改善が実り、準決勝では当時の自己ベストとなる10秒05をマークした。

 

 とある本の表紙絵を見た時、山県は思わず目を奪われた。「自分と一緒だ」。本の題名は「暁の超特急」。1932年ロサンゼルス五輪男子100メートルで6位入賞を果たした吉岡隆徳の評伝だ。表紙にあったのは吉岡のスタート直後の写真で、視線は前を向き、背中がぴんと伸びていた。

 

 吉岡が著した練習の教本は目を皿のようにして読んだ。「水の上を走る」といった珍妙な練習法は「右足が沈む前に左足を前に出すということか。速い切り返しをトレーニングされたんだな」と解釈。そうして咀嚼(そしゃく)するうちに「吉岡さんが意識されたことに自分がどんどん寄っていくのを感じた」。五輪の100メートルで日本人唯一のファイナリストと同じ思考を持った時、揺るぎない自信が芽生えるのを感じた。

 

 評伝では36年ベルリン五輪の話が印象に残る。2次予選で敗退した吉岡は「日本に帰れない」と帰りの船から海に身を投げようとした。「時代だな」と思った山県は「それだけ気を張ってやっていたと思うと、自分はもっと頑張らなければという気持ちになった」。

 

本好きの山県の書棚にはかつて対談し「私淑している」という将棋棋士、羽生善治の著書も収められている。「絶対に落とせない一戦にどういうメンタルで立ち向かうか。そこでのアドバイスを読んで試合に臨むと落ち着く」。得心がいった記述をまとめたメモは心の安定剤。慶大時代の同僚でマネジャーの瀬田川歩は「勉強熱心。どんどん引き出しが増えていっている」と成長に目を見張る。

 

 山県は19年世界選手権で決勝進出、20年東京五輪はメダル獲得という青写真を描く。リオ五輪で決勝進出ラインまであと0秒04と迫り、今年は王者ウサイン・ボルトが引退。東京五輪では「9秒8台の記録があれば表彰台を狙える」。吉岡も果たせなかった偉業への道筋は見えている。

 

                                (敬称略)

 

日本経済新聞 夕刊 (2017年10月23日~25日)合六謙二  抜粋

 

 

 



2017年9月24日 第65回全国実業団対抗陸上競技選手権大会

100m決勝 山県亮太選手(セイコーホールデングス)10秒00の日本歴代2位タイの大会新記録で優勝。

この時の風速は追い風+0.2。


世界陸上他活躍されたかたの表彰が行われました。

棒高跳び 競歩の2人、飯塚選手(ミズノ所属)の4名です。


 

 

 

2017年9月9日。 桐生選手 日本人初9秒台の快挙

 

男子100メートルの記録上位は、9秒58の世界記録を持つウサイン・ボルト(ジャマイカ) を筆頭にアフリカ系選手が席巻している。国際陸連の公式サイトによると、桐生は歴代126人目の9秒台スプリンターとなる。アフリカ系以外は白人とアボリジニを両親に持つパトリック・ジョンソン(オーストラリア)、白人のクリストフ・ルメートル(フランス)らごく少数だ。

 

 アフリカ系選手が圧倒的優位に立つ要因に挙げられるのが民族性。古来、狩猟のために長距離移動を重ねる習慣が時代を越えて受け継がれ、がっしりした骨格や、速く走るのに必要な筋肉が備わってきたとされる。

 

 筋肉には「速筋」と「遅筋」があり、短距離走で有効なのは瞬間的に大きな力を出せる速筋。前日本記録保持者の伊東浩司らを育てた宮川千秋・東海大名誉教授は「アフリカ系選手は筋肉の9割以上が速筋」と話す。

 

 一方、定住型の農耕民族がルーツとされる日本人の速筋の割合は「5割程度」(宮川氏)で、車体もエンジンもアフリカ系とは別種のもの。「スポーツは移動することがベースにある。アフリカ系の選手に抗するには工夫が必要だった」。スポーツ動作解析に詳しく、長く日本陸連科学委員を務めた深代千之・東大大学院教授は話す。

 

 そこで日本の陸上界が施してきた「工夫」がエンジンとなる筋肉の強化だった。股関節を基点に足をスイングさせる観点の重要性が1990年代に広まり、股関節周りの筋肉や、効率的なスイングに必要な筋肉を増やすトレーニングが取り入れられていった。

 

 こうした取り組みが結実したのが98年アジア大会。伊東が準決勝で10秒00と当時の日本新記録を樹立した。ゴール直後の即報表示は「9秒99」で、正真正銘の9秒台は間近かと沸き立った。

 

 それから19年。思いのほか難産となったのは、多くの選手が誤ったアプローチをしたことに原因がある。伊東はたゆまぬスピードトレーニングで体を鍛えた上で筋力トレーニングを積み、28歳で10秒00をマークしたが、「体ができあがっていない段階で激しい筋トレだけをまねる若手が続出した」宮川氏。伊東の成功体験がうまく引き継がれなかった。

 

 その後、体の構造や重心移動の仕組みの研究が進み、体幹を鍛える重要性が浸透。日本が回り道をしつつ手にした知見と、桐生や山県亮太、(セイコーホールディングス)ら逸材の成長とがからみ合って生まれたのがリオ五輪男子400メートルリレーの銀メダルであり、この日の桐生の快挙だった。

 

 ただ、68年にジム・ハインズ(米国)が人類初の9秒台をマークしてから世界が遂げてきた長足の進歩を思えば、日本の歩みはいかにも遅かった。2015年に蘇選手(中国)が9秒台を出したことも、日本の停滞を浮き彫りにした。

 

 桐生もそこは承知していて、「9秒台は世界と戦うためのスタートライン」と今は記録より五輪の決勝進出に重きを置く。32年ロサンゼルス五輪で6位入賞を果たした「暁の超特急」、吉岡隆徳以来の日本人五輪ファイナリスト誕生となれば、世界中が「KIRYU」を認めることになる。

 

 2017年9月10日 日本経済新聞 朝刊 (合六謙二)抜粋しました。